ギリシア医学の流入と公衆衛生
(1) ローマの医師たち
ローマの貴族や市民は自分が実際に体を動かして技術職に携わることをせずに、属領としたギリシア人やエジプト人を奴隷あるいは解放奴隷として働かせた。
彼らは当時としては高い建築技術を持ち、ローマの都市建築に受け継がれた。
金属加工にもすぐれていて、その技術を応用したと思われる義歯(ブリッジ?)が、彼らの墳墓からいくつも発掘されている。
医療についても同様で、当初はギリシア医学がそのまま流入した程度であまり発展しなかったが、カエサルなどが医療の停滞を憂いて、優秀な医師にはローマ市民権を与えるなど優遇を図るようになって、ようやく医学の研究が進み、医療水準も改善された。
ラテン語で書かれた医学書が次々に著された。
ローマ貴族のケルスス(BC30?―AD50?)は「医学論」でギリシア医学を総括した。
ローマ軍兵士に奉仕した軍医をはじめ、多くの医師たちが活躍していたが、最も有名な医師としてガレノス(ClaudusGalenus,125?―200?)の名を逸することはできない。
(2) ガレノスの医学
ベルガモン生まれのガレノスは、アスクレピオス神殿の学校で医学を学び、さらにアレキサンドリアでも勉強した。ローマに渡って優秀な医療能力を評価され、ついには皇帝の侍医となった。
動物の解剖から得られた生理学的知見をもとに、500冊以上の著作を残し、その業績をまとめた「ガレノス全集」は古代医学理論の集大成として、近世にいたるまで1,000年以上も「聖典」とみなされた。
内容的にはヒポクラテスの4体液説をほぼ踏襲している。
歯科についても、齲蝕の治療法、抜歯法、髄腔穿通法などさまざまな記述がある。
(3) 公衆衛生の向上
ローマ人は都市の建設に力を注ぎ、道路も整備した。
健康面にも関心が強く、上下水道の整備や公衆浴場の建設など、公衆衛生の向上に積極的に取り組んだ。
ローマ市内の多くの泉(トレビの泉など)やカラカラ大浴場などは、現代でも観光名所となって、多くの人に知られている。
ローマ軍は進出した土地でも浴場を造り、イングランドのバース市(バス=風呂の語源)やトルコのパムツカレでは温泉を発見して入浴している。
古代ローマ人たちは、このように入浴が大好きだったが、キリスト教の支配が広まると「裸体をけがらわしい」とする考え方が強まり、公衆浴場や裸体彫刻は姿を消していった。
中世以降のヨーロッパでしばしば悪疫が大流行したのは、上下水道や公衆浴場といった公衆衛生面での配慮が忘れさられたこととも無関係ではないであろう。
引用 松本歯科大学特任教授 笠原 浩 『歯科医学の歴史』
(MDU出版会 2013年 pp.35-37)