文明の発祥
6,000~5,000年前、人類は大河のほとりの肥沃な土地で農耕と牧畜を営み、食料を蓄積することができるようになった。人口は急速に増加し、村落から町へ、そして都市が発展していった。
そうした都市では、周辺の遊牧民族の襲撃を防御するために戦士が必要となり、その指揮者はやがて王となった。人びとは農業だけでなく、武器や衣服、日用品の製作などさまざまな職業にもつくようになり、医師もひとつの専門職として認識された。
特筆すべきことは、それぞれの文明で文字が発明されたことで、それまでは口伝えだけだった情報が、時代を超えて大量に伝達できるようになった。
この「第1次情報革命」によって、人類は有史時代に入る。そして、ようやく「医学」が芽生えてくるのである。
古代メソポタミア(オリエント)文明
約5,000年前に、現在のイラクやシリアを流れるチグリス河とユーフラテス河の流域に人びとが定住し、人類最古とされる文明が興り、3,000年以上にもわたっていくつもの王朝が栄えた。
バビロニアでは神話に登場するエンキドウが医神として崇められ、それに仕える魔術師たちが、占星術にもとづく呪文で神の怒りをなだめ、悪霊を払っていた。
シュメール人たちは、粘土板に刻み込む「楔(くさび)形文字」を発明し、さまざまな事項についての大量の記録を残していて、医療に関しても、250種以上の薬草などさまざまな薬が用いられ、それなりの治療効果を発揮していたことが分かる。
外科治療では外傷や骨折の手当てのみならず、白内障の手術なども行われていたようである。
青銅のメスや抜歯鉗子などの医療器具も発掘されている。
歯痛は歯の中に住む虫が歯をかじるためで、ヒヨス草の粉末が効くといった記載も解読されている。
「目には目を、歯には歯を」で有名なハンムラビ法典*には、医師に対する報酬や医療ミスヘの罰則も規定されている。
*ハンムラビ法典 :BC1,780年ごろにバビロニア王が発布した世界で2番目に古い法律で、282条の法文が高さ2.25mもの巨大な石柱に楔形文字で刻まれている。
引用 松本歯科大学特任教授 笠原 浩 『歯科医学の歴史』
(MDU出版会 2013年 pp.17)