古代エジプト文明
ナイル河が運んでくる肥沃な土が豊かな農業生産をもたらし、BC2,700年ごろには最初の王朝が成立した。
古代エジプト人はヒエログリフ(神聖文字)を発明して、石に刻み込んだ。ファラオ(王)の命令を専属の書記官がパピルスに記録するため、手書きができる神官文字や民衆文字も開発された。
医学・医療に関するパビルス文書も多数発見されている。医神としてはトキの頭部を持つトト神が信仰された。
BC2,650年ごろに第3王朝で宰相を務めていたイムホテップも、200種もの病気の診断と治療法を記述し、医療者として活躍したことから、死後は医神として崇拝された。彼を祀った神殿は医学校となった。
王や貴族たちの健康を支える医師たちの地位は向上し、専門分科も始まった。
眼科医、消化器科医、肛門科医、職業病の専門医などもいた。
特筆すべきことに、歯科の専門医の存在も知られている。左下の碑文には「歯を癒す医師の司ヘシ・レ」と記されていて、彼が歴史に名を残した最初の歯科専門医である。
ミイラのX線写真から、この時代の貴人たちは石臼で挽いた穀粉のパンを主食にしていたためか、高度の咬耗や歯周病に苦しんでいたことが分かっている。
歯科治療について記載されたパピルス文書(Eber’s Papyrus)も発見されていて、
①歯痛には香の粉末を齲窩に塗り込む。
②動揺歯にはビンロウの実の粉と蜜を混ぜた粘土を塗る。
③歯肉出血には軟膏を塗る。…
などと述べられている。
別なパピルス(Smith’s Papyrus)には顎関節脱臼の整復法も記載されていた。
ミイラからは、ハンセン氏病や天然痘など、さまざまな病気の痕跡も発見されているが、ミイラ作りの職人たちの知見が解剖学的知識として医学に反映されることはなかったようである。
古代インド文明
BC2,300年ごろ、インダス河流域に青銅器を持つ都市国家が成立した。
ハラッパー遺跡やモヘンジョーダロ遺跡などから「インダス文字」を刻んだ印章などが発掘されているが、いまだに解読に成功していない。この文明は地殻変動や気候変動によってBC1800年ごろには崩壊したといわれる。
彼らの医学は生命の聖典「アーユルヴェーダ」を最高基準として、心身のバランス・調和を重視した。
さまざまな薬草が用いられ、外科手術も行われた。
削がれた鼻を再建する成形手術は「インド式造鼻術」 として有名である。
引用 松本歯科大学特任教授 笠原 浩 『歯科医学の歴史』(MDU出版会 2013年 pp.18-19)