呪術的医療から経験的医療ヘ
古代の殷王朝(紀元前17世紀ごろ―BC1046)や周王朝(BC1046-BC771)の時代には、祈祷や呪いが主であったが、徐々に薬草などの経験が集積されていったようである。
医療・医師を表す最初の文字は「毉」で、上半分の「殹」は矢を隠す動作を表す文字、下半分の巫は「巫術(ふじゅつ=呪術)」を表していた。
それが下半分を酒壺を表す「酉」に換えられて「醫」となったことは、呪術的医療から経験的医療への変遷を象徴している。
漢方医学の発祥
ヒポクラテスやガレノスが西洋医学の基礎を確立していた時代は、中国でも春秋戦国時代を経て漢王朝が成立するころで、「医」と「巫」(呪術)の分離による体系的な医学理論が形成され始めた。
医学書としても、前漢代(BC206-AD8)の「黄帝内経」に続いて、後漢代(AD25-220)には365種の薬草を収録した「神農本草経」も編纂された。
古代中国の自然主義哲学「陰陽五行説」から東洋医学の基礎理論が生まれた。
経験の積み重ねから「気」や「経絡(けいらく)」などが重視されるようになり、「漢方医学」が育っていった。
陰陽五行説
万物は陰(例:月、偶数、女性など)と陽(例:太陽、奇数、男性など)に分かれ、それらの交合から五つの基本物質「木、火、土、金、水」が生み出される。
そして、それらが「相生相剋」しつつ生々流転していくという思想。
現在でも「漢方」などの中国医学の根底理論とされ、こうした要素のアンバランスが諸病の本質であるとして、それらの補正が重視されている。
「気」と「経絡」
古代中国人は、指圧などの経験から、圧力や熱(灸)などの刺激を加えると苦痛が軽減する部位(経穴=ツボ)が体表上に存在することに気づき、それらを結んだ経路(経絡)に生命エネルギー(気)が流れていると考えた。
「漢方医学」「中医学」の原点のひとつとして、現代にも通じる考え方である。
引用 松本歯科大学特任教授 笠原 浩 『歯科医学の歴史』
(MDU出版会 2013年 pp.22-23)