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松本歯科大学病院
歯学と医学の歴史

古代中国の医学医療(後編)

1. 鍼(はり)治療と脈診のはじまり

紀元前4世紀ごろに活躍したとされる伝説的な名医・扁鵲(へんじゃく)は、経穴への鍼治療の創始者とされ、古くから用いられてきた灸とともに、重要な治療手段のひとつに位置づけられた。
彼は望・聞・問・切の診脈法を系統立てた「難経」の著者ともされる。

2. 「傷寒論」の登場

後漢末期の名医・張仲景(AD150-219)は、疫病の流行から人びとを救おうとして、それまでの陰陽五行説を超えた合理的思考と実践にもとづいて「傷寒雑病論」を著した。
その一部が「傷寒論」として後世に伝えられ、中国のみならず、日本の漢方医学においても、最重要古典として大きな影響を与えた。

エピソード

① 神医・華佗 (かだ)

後漢末期の薬学・鍼灸に非凡な才能を持つ医師で、さまざまな奇跡的医療の伝説がある。
「三国志演義」にはすぐれた金創医 (創傷の手当てをする外科医)として登場し、蜀の英雄・ 関羽が肘に受けた毒矢の傷を手当した。華佗は矢毒に冒された骨を削る手術となるので、患者が動かないように腕を柱に緊縛することが必要だと申し出たが、関羽は「私にそれは不要だ」と断り、部下と碁を打ち、酒を飲みながら、まったく平然として手術をすませたという。
後に魏王・曹操の頭痛の治療を求められたが、開頭手術を提案したため 「余を殺すつもりか」と疑われて投獄され、結局は殺された。
親切にしてくれた牢番に与えた医書も、夫を案じたその妻に焼き捨てられた。
麻沸湯を用いて全身麻酔で開腹手術をしたとの伝説もあり、華岡青洲の全身麻酔の開発のヒントとなった。

エピソード② 秦始皇帝と仙薬

春秋戦国時代を制して、BC221年に中国最初の大帝国を建てた秦始皇帝は、万里長城の建設、度量衡や車軌の統一など、さまざまな大事業を成し遂げ、豪壮な阿房宮に美姫3000人を蓄えて宦宮に管理させるなど栄華を極めた。不老長生を願って、道士に仙薬を練らせたり、徐福を東海に派遣したりしたが、死を免れることはできなかった。


引用 松本歯科大学特任教授 笠原 浩 『歯科医学の歴史』

(MDU出版会 2013年 pp.23-26)

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