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松本歯科大学病院
歯学と医学の歴史

古代日本と医療科学

日本神話

オオクニヌシ(大国主命)の物語

ヤマタノオロチを退治したスサノオが、クシナダヒメと結婚して生ませた4代目の子孫がオオクニヌシ(最初の名はオオナムチ)である。
ワニザメを騙したために「皮を剥かれて赤裸」で苦しんでいたイナバの白ウサギに、適切な処置法を教えて助けてやったことで、わが国での最初の医神とされている。
オオナムチは兄神たちに妬まれて、何度も殺されるが、母神の手当てでそのつど蘇る。
「赤イノシシを追い出すから手取りにしろ」と命令されて、山から転がり落ちてきた真っ赤に焼かれた大石に抱きつき、全身火傷で死んでしまうが、母神がカミムスビに祈り、赤貝の神とハマグリの神が軟膏を塗って蘇らせてくれた。
次には罠として割いた生木の間に挟まれて息が止まってしまうが、母の神が自分の息を吹き込んで助けた。
まさしく「口移し式人工呼吸」である。

古代日本の医学医療

飛鳥時代(562-710)

(1) 仏教伝来と薬師信仰

538年には百済から仏教が伝来した。仏たちも祈りの対象となり、各地で仏像が作られ、寺が建てられた。
とりわけ、医王如来の別名を持ち、左手に薬壺を載せた薬師如来が信仰された。
奈良の薬師寺は天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を願って698年に建立したものである。

(2) 渡来人の活躍

この時代には、さまざまな新技術を持った人たちが朝鮮半島から渡来し、大活躍を始めていた。
日本書紀には、553年に百済に医博士の派遣を求め、翌年に医博±1名、採薬±2名が来朝したとの記事がある。
彼らによって医師や薬園師などの教育も進められた。

(3) 隋唐医学の伝来

610年に聖徳太子が初めて隋の場帝(ようだい)に国書を送り、わが国と中国との国家間交流が開始された。
その後も十数回にわたって遣隋使・遣唐使が派遣され、中国の先進文化が日本に伝えられることになる。
唐の時代(618~)には、多数の留学生が送り込まれ、さまざまな学術を吸収して、日本に持ち帰った。
そのなかには医療技術や薬物(本草)についての知識も含まれていた。

(4) 律令制度と典薬寮の設置

わが国で単なる治療術を超えた「医学」の体系化や、医療官制の整備が始まったのは、奈良時代の大化の改新(645)以降のことと考えられる。
大宝律令(701)により、国が医師の養成を行うことになり、宮内省に典薬寮が置かれ、医療全般を管掌した。
同時に布告された医疾令で、医生の教育課程や医薬全般についての規定が定められ、天皇、貴族や官人たちの診療のみならず、医博士、針博士、按摩博士による医生らの教育が系統的に行われた。
薬園師が薬草の採集や栽培を行った。女医も養成された。


引用 松本歯科大学特任教授 笠原 浩 『歯科医学の歴史』
(MDU出版会 2013年 pp.29-30)

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